チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地-日本科学未来館

東京、ゆりかもめテレコムセンターで下車、徒歩5分、
日本未来科学館が、今回の展示の会場になっている。15時前には着くことができ、電車から降りると一見閑散としているので、混んではいないのかなーと思っていたけれど、チケット売り場では、長い列ができていた。
およそ15分くらいまって、チケットを購入する。

1800円。

1人、1800円という値段の展示は、関西ではまずない。
東京ではままあるようだけれど、映画を見るより高く、およそ水族館なみの金額だと感じる。この金額まで来ると、半分諦めみたいな気持ちも持つことにしていて、まぁ、これも勉強だくらいの気持ちで見ないと、割の合わなかった時に自分の中で折り合いがつかないのだ。

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小腹が空いたので、多目的ルームという部屋で築地で買ったおにぎりを食べる。

脱線するが、築地というのは魚は新鮮かもしれないが人間は腐っている。
築地の関係者は、死ぬほど横暴だし、上から目線で、客のことなど1ミリも考えていない。自分はどこに行っても楽しい気持ちを持ち続け、その日1日をいい日だったと思えるよう努めているけれど、築地だけはダメだ。
牡蠣はうまい。だけど海鮮丼ははっきりまずい。米がまずい。
いつ炊いたのか聞きたくなるような、不快感を溜め込んだ米の上に、ピラピラと薄い魚が何枚か乗せられているようなものしか出てこないのだ。
なんとなく海鮮丼を食べなければ築地に来た意味がないような気になるが、食べて後悔しかしたことがない。
安い店だからかもしれないけど、スーパーで買って食べたほうがうまいし、ストレスもない。
後悔を感じながら醤油でもって、まずい米を流し込まなければならない悲しさ、築地では牡蠣以外食べないと心から誓うことになる。
そんな中で、TVでやってたというのでおにぎり屋さんに並んでみた。
ここの店も、はっきり言って途中で並ぶのをやめようかと思うくらい人間が腐っている。
店員のババアと、築地のジジイのコンボで、常にイライラしてしまう。まずおにぎりを選んでいると怒られる。そっちに並ぶんじゃないとかなんとか言われる。
並んでるわけじゃねぇ、見てんだよ!

そんなおにぎりを食べる。
悔しいことにうまい。
だけど二度と行かない。

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今回の展示は主に4つのブロックからなっていた。

入ってすぐが、『花と人、コントロールできないけれども共に生きる、そして永久に』。
次に『ニルヴァーナ』を含む壁面の展示。
3つ目が、『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 ‒ Light in Dark』。
最期が未来の遊園地。
作品数に関しては遊園地を除くと7作品、遊園地自体も7作品と数自体は正直多くない。
ちなみに写真はフリーのようだったけれど、なんとなく写真はほとんど取らなかった。

セクション1

『花と人、コントロールできないけれども共に生きる、そして永久に』

入ってすぐこの作品がある。今年作られた新しい作品で、すごく楽しみにしていた。
おそらく、床にモニターを敷き詰めて影などの干渉を受けないようにしていて、壁面はガラスで覆い、実感できる空間の錯覚を起こすような工夫がされていた。
だけど、正直期待していたよりも作品に入り込めなかった。
ある程度人もいたと言うのもあったけれど、壁面のガラスは、完全に壁を覆っているわけでなく上部は壁が見えてしまっていたし、天井も吹き抜けというか高かったので、作品と現実との間が意識されてしまった。
草間彌生のインスタレーションでよくあるが、天井を低く設定しても、ガラス張りにし、部屋自体を作品で完結させて欲しかった。
おそらく、施設の関係でできなかったのではないかと推測しているけれど。
作品自体は綺麗だと思った。
だけど鑑賞者の行動に反応して流動的に作品が描かれ続けているというのは気付けなかったし、今になって調べて知ったので、もっと早く知っていたらより楽しめたと思う。

セクション2

ここは作品が多く、有名な作品はここに含まれる。
見ればわかることだけれど、デジタルで日本画を意識した作品制作を行っている。
その概念もそうだけれど、素材の再現が案外面白く、考えさせられた。

『生命は生命の力で生きている』

この作品はかなり長いループで墨のような線から始まり、木になり、鳥がきて葉がつき、花がつき、季節が巡る。
墨が木になり、徐々に枝が伸びていくのだけれど、一体どこがどう変わっていっているのか変化が追えない。
だけれど明確に変化はしている。すごく不思議な気がする。
いつも一緒にいたら、変化がわからないけど、写真で見たらかなり変わってる、みたいなことがこの短い時間で常に起き続ける。
そして、単純に美しい。
回転しているそれは、やはり3Dには違いないけれど、より平面的な印象を受けた。

『冷たい生命』

これは上記の作品をよりコンセプチュアルに表現した作品。
3Dの作品は全て線の集合で作られているという、有機的なものを表した前作とついになるメッセージを持った作品。
それだけによりCGっぽい。美しいけれど。
好き嫌いで言えば上記のほうが好きだなー、と思う。

『花と屍 剝落 十二幅対』

これは楽しみにしていたものの一つ。好きな雰囲気の絵で、平面で見てみたいと思うくらい好きな雰囲気。
金箔の表現から始まる、かなり短いループで、12幅対ある作品が、それぞれ徐々に剥落し、CGを表す線だけになってしまう作品だ。
これも上記の作品と同様のテーマで作られたようだけれど、これに関しては深い意味を持たせるパネルがあり、考えさせられたので、後述する。
まず、金箔の表現も、もちろん本物には及ばないけれど、それを感じさせる表現、という点で細かい四角形を並べ動かし、きらめきを表現していたり、色味、など非常に考えられている。
何より絵が面白い。アニメーションが面白い。踊っていたり、蛙が人間をぶん殴っていたり、どこか滑稽で、作品全体の雰囲気との差異が面白い。
(もしかしたら、それぞれに意味があったのかもしれないが、そんなキャプションもなかったし、深く考えないことにする)
中でも、自分は蛙が人間をぶん殴るシーンに見とれていたが、非常に動きがリアルである。
マウントポジションからの腕の振り下ろし方、スタンドでの打撃。
よく再現されているなー、とニヤニヤしながら見てしまっていた。

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・空間についての考察

空間についての考察、または実践がこの展示ではテーマになっている。
自分の拙い頭では、まとめきることができないけれど、整理するためにも記載する。

現在、自分たちは西洋的な遠近法で以って空間、及び眼前の風景を捉えている。
しかしながら日本画では、それとは別の空間の捉え方、表現を行い、これによって印象派の人たちに大きな影響を与えた。
だけれど、逆に西洋からの遠近法をはじめとした空間把握の概念が入ってくるまで、
日本画で見ていたような世界を日本人は見ていたのではないだろうか。

実際に見えている世界は、およそ綺麗な遠近法に則ったものではない。
私たちは絵画が表すように、ただ一点をずっと見たりはしない。
眼球を動かし、歩き、空間を把握する。
つまり、何かを見るという時に視界を切り取って考えたりはしない。
視界を含めた空間の中の一つの場面として考え、空間も同時に意識している。

日本画の構成は空間の表現を念頭に置いて作られているのではないか?
遠近法的にはおかしな形の部屋、配置であったとしても、鑑賞者はその部屋の空間を認知することで不自然を感じない。

また、空間を把握するということは作品を分断、あるいは折り曲げることができるということだ。
自分たちは屏風作品や、何枚かのバネルの作品を見て、その一枚一枚が繋がっていることを意識せずにも認知することができる。
それらの空間は繋がっており、そこの場面を切り取ったということだけで、絵が表す空間は繋がっているからだ。

上記の花と屍では、日本画のような画面構成の中、画面が剥落して3Dにモデリングした時の線が現れる。
この線が表すのは立体なわけで、日本画のような平面的な画面の中、しっかりと作り込まれた3Dが存在する構成は、上記の日本画に見られる空間把握の実態を表現しているように感じられる。

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『世界はこんなにもやさしく、うつくしい』

これだけわざわざ部屋を用意し、展示されている。
鑑賞者と作品との双方向の関わりによって変化していくというもの。
こういった作品は、デジタルでないと表現できないものの一つだとおもう。
もちろん映像のクオリティは高い。
上から様々な文字が降りてきて、それを触ると文字が消える。
そうするとその文字の持ってる世界が現れる、らしいけど、実感としては文字が消えるところまでで、それ以上はあまりわからなかった。
鑑賞者と作品との関わり合いによって同じ風景は二度と見ることができないというのは、この文字が消えるとか、蝶々や、その他の動きがランダムであるところからきているのだと思っていたが、もう一つ上があるらしい。
おそらくそれを知っているかいないかで楽しみ方が変わる作品だと思う。
自分は正直に言えば、テクノロジーに驚くばかりで、絵的にはそれ以外のものの方に心を奪われてしまっていた。
だけどこの部屋でははしゃぐ子供がいて、バンバン壁を叩いて文字を消そうとしていたり、走り回ったりでやかましかったし、不安になったが、子供をそうさせる作品も他にはそうはないだろう、と感じた。

『Nirvana』

今回最も楽しみにしていた作品。
伊藤若冲の鳥獣花木図屏風等をモチーフにし、升目画をピクセルアートに投影して表現している。
遠くから見るとマス目の中の色が鮮やかに混ざり合い、近くで見ると、マス目が認識できる、
という2つの軸を持っており、その絵を動かすということでより、その対比を感じさせる作品。
しかしながら十分に離れて見ることができなかったのでその対比を感じることは難しいかもしれない。

この作品では絵の中の動植物は動いている。この作品に関しては、動植物が動くということに関して、考えさせられた。
もともと、若冲の作品として広く知れ渡っている作品で、おそらく一度は見たことのあるものだと思う。
若冲作は、当然ながら動かない。紙だし。
だけれど見ているうちにその中の動物の動きであったり、呼吸というか、そういうものをどこかで意識して、自分の中である程度の解を持ってしまっていた。
それがよく知る猫や犬、現実にいる動物なら、それらの動きは現実から示されているけれど、鳳凰やら白象は、見たことがなく、個々の想像による部分が多い。
そういったものの動きを今回示してしまうことによって、想像というものを鑑賞者から奪ったのかもしれないとも思う。
だけれど、作品の性質上、というか映像である以上動きがなければ間が持たないものでもある。
さらに動きも最小限に抑えられていたように感じる。
何度も読んだ漫画がアニメになった時の違和感を感じる作品だった。

セクション3

ここは一作品のみ

『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 ‒ Light in Dark』

この作品は心から震えた。
すごくカッコよくてただただ感動するしかなかった。
巨大なスクリーンが奥に一枚。それから等間隔で、真ん中だけ開けて3分の一ずつほどのスクリーンが2列。
地面は光沢を持った黒。
板野サーカスへのオマージュという今回の作品は、他の作品と同様、三次元空間を上記のチームラボが考える空間理論で平面化し、映像にしており、そこに板野サーカスと呼ばれる演出を組み込んだ作品。
板野サーカスってなんのことかわからなかったが、よくアニメで見る、ミサイルとかが相手の方に向かっているにもかかわらず、めちゃくちゃな軌道を描いてそれをパンパン視点を変えて写すことでよりダイナミックに感じるという手法のことかと、作品と説明文を読んで勝手に納得していたが、調べてみたところ、実際には嘘パースを極限まで高め、それを高速なカメラワークによる回り込みでダイナミックに表現することのようである。
正直、よく、わかってはいないが、、、
それをミサイルでなくカラスで、軌道を光で描いて表現していた。
最初、1番大きなスクリーンの前まで行って、見てみた。
特殊な展示方法であるし、若干意図を飲み込めていなかったからだ。
それでもその迫力には圧倒された。
それなら、離れたらどうだろうと思う。br>
やはり、両サイドの2枚ずつのパネルの繋ぎ目が、若干気になるなーと思っていた。
だけどしばらくすると一切気にならなくなって、かなり広い視野を持っていてそこに全て作品が映されているような気分、完全に映像の中に入り込むような錯覚を感じた。
繋ぎ目が気にならないというよりは、繋がっているように見えた。
(認識の中では完全につながっていた)

ずっと見ていたいと思うくらいよかった。
すごく素敵な作品だった。

セクション4

・未来の遊園地

『天才ケンケンパ』など、7つのアトラクションがあった。
WEBでは子供が遊んでいる様子がメインであったので、子供向けなのかと思っていたが、自分みたいな人間でも、非常に面白い。
鑑賞するだけでも面白いし、子供の動きを見ていても面白い。
主に、アクションに対して反応を示す、というものと、描いたものをスキャンし、その場で画面に登場させるというものの2つの形があった。
単純にこんなことができるんだ、と震えたし、実際に試してみるとすごく楽しい。

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▪️デジタルとアナログについて

今回の作品は全てデジタルである。アナログのものは一つもない。
また、全てアニメーションで、静止しているものは、これも一つもない。
これを考えたときに、動かせるから動かすというよりも、デジタルにおいては動かさざるを得ないのではないかとも思う。
素材の表現の巧みさは上記の通りだけど、デジタルでの表現が表す素材感はやはりアナログのそれとは現在のところ程遠い。
投影する素材を変えるのも一つの手だけれど、投影するというのはどこかしらから、光を当てるのであって、遮られるという弱さを孕んだ行為でもある。
もちろん、デジタルにおける強みも多い。
改変が可能だし、何よりバックアップがあるので、消えてしまうということや、損傷に対しては強い。
新しいテクノロジーは次々と出てくるので、作品に使われる技術の新しさということは、すぐに失われていくだろうけど、
逆にそういうテクノロジーを次々取り入れることで、こんなことが可能なのかという驚きを見る人に与え続けることができる。

だけれど今回特筆すべき点はそれらのテクノロジーや哲学が、作品として、または楽しめるものとして成立していたということだ。
京都の二条城で行われていたアートアクアリウム展とは違い、テクノロジーを使い、それでしか実現できない表現を美しい、または面白いと思えるレベルにまで落とし込んでいた。

すごく興奮した。
今年見た中で一番良かった展示だった。
そしてこの施設自体も面白くて、結局一日中遊んでしまった。

思ったより長くなったので、切ります。つかれました。