橋本関雪展 -兵庫県立美術館-

今回、兵庫県立美術館に橋本関雪が来ているということで、見に行ってきた。
知人から、橋本関雪の動物画、特にボルゾイを描いた『唐犬図』が素晴らしかったといわれ、ずっと気になっていた作家の1人だ。

兵庫県立美術館はJRなら灘駅が最寄りとなっていて、そこから海の方面に歩いたところにある。

IMG_2391

今回久しぶりに来たが、何の冗談か屋根の上にかえるが乗せられていた。
これはかなりのサイズである。

ここの展示は関西で最も面白いと自分は思っていて、有名な作家も、そうでないコレクションも、非常にうまい見せ方をしていて、毎回楽しみにしている。
先日行っていたセザンヌ展も非常に面白かった。

今回の橋本関雪は、近代の中でも最高峰の技術をもった画家である。

橋本 関雪

橋本関雪は1883(明治16)年、旧明石藩の藩儒であった橋本海関を父として、現在の神戸市中央区に生まれました。12歳から日本画を学びはじめ、1903(明治36)年竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門し、研鑽を積みました。1908(明治41)年の第2回文展で初入選、その後文展で入選、受賞を重ね、やがて官展の代表的画家としての 地位を確立します。

漢学の深い教養にもとづき中国の古典に取材した数々の作品を発表したほか、石濤や八大山人などの明末清初の文人画家に傾倒し東洋画の本質を南画に見出した関雪は、新南画とよばれる新領域を拓きました。また動物画にも優れた力量を発揮、多くの名作を残しています。

出典:兵庫県立美術館

実は自分はこの人のことを動物ばかり描いていた人だと思っていて、今回の展示においても、動物画メインの展示になるのだと勝手に思っていた。しかしながら違い、人物を描いたものが多く、動物画は全体の5分の1か、そのくらいの量しかなかった。
IMG_2395
幾つかの章に分かれて展示してあり、おおよそ年代順に構成されていた。

最も古いもので、19歳の頃に描かれた絵があった。ダルマが何かをモチーフにしたもので、その技術には愕然とした。

また、30歳から40歳くらいの時は最もだが、何と言っても大作が非常に多い。
どれもこれもかなり大きな作品ばかりで、その一つ一つに圧倒されるのはもちろん、これら全てを、一人の人間が生み出したのだという迫力にも震える思いだった。

絵の内容としては中国や日本の故事をモチーフにしたものが多かった。最後の方に動物画、あとは戦争画で終わった。

様々な技法を納めようとしたこともこの人の特徴で、堅実な日本画、水墨画、大和絵など、どれか一つを究めるというより、全てを高いレベルで納めたことを、作品内で示していた。

自分はこの中で一番好きだった作品は聖徳太子をモチーフにしたものだ。
構図や色使いなどは全てにおいて凄まじいが、この作品の木と、地面の表現には愕然とさせられた。
楕円状の薄い色が折り重なって、それらを作り、木の表皮の雰囲気や落ち葉が折り重なった地面を非常な透明感を持って写し取ることに成功していた。
これは幾たびも描かれて、それらを巧妙にデフォルメした成果と言える。実際、自然にそれらを見たような、それらを取り向く空気、神聖さをも感じることができた。

唐犬図ももちろん、楽しみにしていただけあり、大きな感慨を持って眺めた。ボルゾイとグレーハウンドが描かれた作品は、それぞれの気品に満ちていて、美しい作品だった。

逆に大和絵はあまり自分の好みに合わなかった。なんというか、鮮やかすぎる色彩がイメージと違っていたこと、他の作品と同一人物が描いたとは思えないくらいで、もちろんレベルは高い作品であったが、あまり良さがわからなかった。
主観である。

同じように、最晩年に描かれた戦争がも、西洋風というか、東南アジアのものをモチーフにしており、大和絵のような雰囲気であまり好きになれなかった。
しかしながら、戦争画であっても、絵は夢を描くもの、美しいものを描くものという哲学を徹底した作品作りには感銘を受けた。戦争画と聞いて、どんなものかと思っていたが、東南アジアなどを舞台に変えた、大和絵だった。

京都の銀閣寺近くに橋本関雪記念館がある。
先日、銀閣寺に遊びに行った時その存在に気づいたが、時間の関係ではいることができなかった。
その建物についても触れており、橋本関雪は庭を作ることにも心血を注いでいた。
石一つにしても自分の目で選び、角度を定めた。

橋本関雪は50余年でその生涯を閉じる。
展示の最後を結ぶ文章には、そのことが、橋本関雪を完成させなかったのではないか、と結んでいた。
もし、さらに長く生きることができていたら、どのような作品をこの世に残したのか。自分には到底想像できないそれを見ることができないのは、本当に残念でならない、とおもった。

IMG_2401