コレクション2 /国立国際美術館

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20世紀にはヨーロッパとアメリカでは彫刻の概念が劇的に変化した。第一に、20世紀までの彫刻の機能-宗教、記念、装飾のための造形であること-は形骸化した。第二に彫刻の二大技法である刻むこととこね上げることに加えて、日常的な物-オブジェ-が使用され始めた。また、新たな領域にも関心が広がる。たとえば、風や電気による動きの導入である。さらに、作品をめぐる環境への意識が強まった。作品は空間を構成するものとなり、展示方法が重視される。こうした根本的な変化の結果、欧米の20世紀の彫刻は字義を超えた存在となる。

日本では仏像や置物や建築装飾など独自の立体的な造形活動がなされてきたが、1900年頃に写実を基本とする近代西洋の彫刻が伝来すると、リアルに肉付けされた具象彫刻が制作され始める。1910年代から20年代にはロダンの彫刻が紹介されて、生命感や作者の個性を重視した作品が流行する。彫刻に関して世紀の前半の日本で一貫しているのは、江戸時代以前の職人技と西洋近代の彫刻観の拮抗のなかで創作がなされた点である。一方、西洋における同時代の彫刻に影響された作品、すなわち既製品を用いた作品や幾何学的な抽象彫刻などは、散発的にしか試みられてはいない。

コレクション2では、異なる軌跡を歩んできた日本と西洋の彫刻の第二次大戦後を振り返る。歴史的背景が異なる日本と西洋の戦後の彫刻は、同一の道を歩んではこなかった。しかし国際化が急速に進み、鉄板やアルミなど新素材が共有できるようにもなって、遠く離れた二つの地域の彫刻は、地域性を保ちつつ、時代精神を分かち合う。本展では、共通性の主要な原因の一つである素材に着目し、当館所蔵の戦後の彫刻を素材別に紹介する。また、彫刻家によるドローイングや版画を併置して、多彩な彫刻観を確認する。

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以上がこのコレクション展の紹介文となっている。
今回、国立国際美術館にて、『貴婦人と一角獣展』と同時に行っていた。
真っ青な簡素なDMからは中身が想像できなかったが、国立国際美術館所蔵の現代の立体作品を主に集めた作品展である。なので足繁く当美術館に通っていると、見たことがあるものが散見する。

自分は殊、立体のことにあまり造形が深くない。
もちろんこの展示に関しても、見ながら、何が良いのかを果たして考えていた。
例えば形、素材感、そういったものに関しては感動を覚えたり、夢中になって見たりすることもあるけれど、より現代の、いわゆる現代アートじみてくるとほとんどなんの感動も覚えた試しがない。
例えば、人の形や、何かの形を懸命に表した作品、つまり美しい形や、気持ちの良い形を目指して作られた作品は、自分が見ても、面白いと思えるものが多いし、参考にしたいとおもえたり、作って見たいと思えることが多い。或いは、何かの集積的に作られたそこにかかる時間を想像できるものは、得も言われぬ力を持って訴えかけて来る。
そこから外れて、形そこそこに言葉だけが一人歩きしたものは、立体に関してはゴミにしか見えない。
大きなゴミ。
キャプションがないので何かわからないし、ただ適当に組み合わせたのかな、と思う。
そもそもキャプションがなければ伝わらない作品は意味があるのか。
この作家は前回の展示でも、その取るべきもののない屁理屈の塊というゴミで自分を唖然とさせた。
今ここで名前を上げたい!名指しで罵倒したいとおもえるくらい、思い出してもむかむかするのだ。

まずこの作品を収集して対価を支払う美術館が分からない。
そしてこれを見た僕らはどんな反応をすればいいのか。
規模の大きいなぞなぞなんじゃないのか。
もっともっと真摯に作品を作っている人は世の中にごまんといるにもかかわらず、、
こんな形が新しい美術なわけがないし、
こういう作品が美術を腐敗させているとすら思える。

そういうことが、ひたすら頭の中をめぐって、
煮え切らないような、なんというか、自分の方が、とか
ぐるぐるぐるぐる
結局、この展示についてはあまり覚えていない。