巡り合わせー13’12/06

巡り合わせ、と聞くとなんとなくロマンチックなような、暖かいような、そういうちょっとポジティブな気持ちになる。
なんとなく絆、とか、よくわからないけどそういったものを連想して、あぁ、一期一会、何ものとの出会いでも、大事にしたいと思ったりする。
いや、そこまではない、飛躍し過ぎてしまった。

兎角、年賀状なんかにも『巡』という一字がでかでかと書かれていたりして、巡り合わせ、という言葉はなんとなくいい意味を連想させる。

そんな風な言葉を、ふっと思いついて題にしたためたはいいものの、書きたいことはそんなことではない。むしろ逆だ。
自分は異様に巡り合わせが悪い、というようことを書きたかったのだ。

例えば今日とて、東京からの友人が、家の近い友達の家に遊びに来ているのだというのに、自分は家にやらなければならぬことがある。
やらなければならぬことは、仕事だし、約束していたものだから、それを反故してまで、酒を飲みに行く訳にはいかないのだ。
そもそも、昨日仕事量を甘く見て、本など読んでいたために、今日まで流れ込んだ仕事だったのだ。なんということはない、巡り合わせも何もない、1人自分が悪いという話なのだが、なんとも、まぁ、悲しいし、悔しい。残念だ。

こんな風にして、素敵な話があるにもかかわらず手が離せず、眼前にぶら下げられたまま、違うことをするというようなことがままある気がする。
気がするというだけで、今ちょっと思い出して見ても、思いつかないくらいのことなのだけど。

そういう時にいつも考えるのだ。
例えば、今日は会社帰りにCDを買いに行った後に、そんな連絡があったけど、買いに行かなかったらそんな連絡はなく、こんな思いをしなかったのかなぁ、とか、自分の取る一挙手一投足によって、未来が決定され、もしもその時違う行動、動作をしていたなら、未来も少し違ったものになっていたのではないか。
それは飲めない酒を浴びるように飲んで、次の日やめときゃよかったと後悔するようなことでなく、もっと日常の動作で、例えばこんな風に文章したためたりするようなこと、あるいはその日、玄関をどちらの足から出るかというようなジンクスじみたことで、それでも少し未来に変化があるのだと、考えている。

そういう細かい分岐が生まれた瞬間から無数に絡み合って過去だの癖だのになっていることを考えると、例えば、自分のこの、文章を書き終わった時の動作も深く感慨深いものになる。

師走。
いつの間にか12月。
振り返るにはいい時期で、今年やると決めたことはほとんど成せなかった。
やりたいことがあって、それを毎日ことことやり続けるということが、どれだけ難しいことか、痛いほどわかった。