線と点ー三日坊主と悔しさについて

前回文章を書いてから、随分日が空いてしまった。
三日書いて、やめるという、まさに理想的な三日坊主となってしまった。これには猛省するしかない。

久しぶりに本を買ったのだ。
チャールズ・ブコウスキーの短編集で、それを読むことに一生懸命になってしまっていて、こんな風に何かを書いたりすることができなくなっていたのだ。

一昨日、ようやく読み終わった。
面白かった。

汚い言葉と、めちゃくちゃな描写と、デタラメな登場人物、20話以上入っていたように思うけど、全てアルコールと、女の話だった。
読んでいたら、もう少しデタラメに生きてもいいのかな、とか、そんなことを思ってくる。

いわゆる頭がおかしい人は、得だと思う。
頭がおかしい人の方が、案外まともなのだ。
恐れたところがない。

自分もそうありたいと思うが、基本的に自分は臆病で、嫌われるのが怖い、というより、いつでも八方美人でいたがる癖がある。
そうでなくて、嫌われても自分を出すことの方が、はるかに精神衛生上良いし、そっちの方がより深い繋がりを気づけることや、素敵な思いをすることも、多いのではないかと思う。

そうしてそれを目指そうと思うのだが、今のところ全く出来ていない。
好き勝手にもっとしろ!

なんだかよくわからないけど、去年から決めている展示のために、絵を描かなければならなかったり、何かしら色々なものを用意しなければならないのだが、様々の予定であったりが重なって入って、何もできなくなっている。
死ぬほど不安だ。
そうして久しぶりに絵を描くけれど、今、頭の中で色んな人の言葉が反響して、ただの作業、というよりほとんど楽しさを感じないものになっている。
久しぶりに筆を執る、自分の認識と現実との差異も、より一層自分の焦燥感をかき立てる。

色々な言葉を聞こう。
そうして全て吸収しようだとか考えてはいけない。

絵を描く時にコンセプトなんかいらない。
とりあえず今のところは、そういうことにしておかないと、絵を描くことができない。

たまに思う。
なんで絵なんか聞いてるんだろう。
そうして、自分には自信がない。
あまり絵が上手い方ではないのだ。
そもそも性格が向いていない、ごちゃごちゃ書き込んだりとか、そういう芸当が、自分にはまるで向いていないのだ。
好きだから描いている、この一点のみに依存してゆらゆら続けてきたのだ。
だから、好きであり続けなくてはいけない。
そうでなければ続けていけない。

絵を描く度、悔しいと思う。
まだ10年はかかる気がする。